国産コーヒーの歴史「新たな史実」
沖縄コーヒーの歴史研究をされている「四季の珈琲」によると日本で初めてコーヒーが植えられたのは「沖縄」であることがわかりました。
これまで国産コーヒー栽培の歴史は小笠原から始まったというのが通説でありましたが、新たな史実は沖縄のほうが早く栽培されていたことが文献で明らかになりました。
今から148年前の 1875年(明治8年)に海外から琉球にコーヒー苗が来ました。
これは 榎本武揚 の明治政府への申し立てがきっかけで那覇港に到着した熱帯植物180本のうち112本がコーヒー苗でありました。
国産コーヒーの歴史の詳細は「四季の珈琲」または日本コーヒー文化学会「コーヒー文化研究no.30」をご覧頂けたらと思います。
特に史料の中で驚きは当時、榎本武揚(国産コーヒーの父)は日本におけるコーヒー栽培の適地選定で沖縄と小笠原を勧めたことです。
下図はコーヒー栽培の適温と危険気温になります。コーヒーは気温10℃以下だと枯れる恐れがあり榎本はそれを熟知していたと思われます。
※ 後に沖縄、小笠原でコーヒー栽培が成功したことで、宮崎などでも栽培を試みましたが、コーヒーにとって冬の寒さが厳しかったため宮崎のコーヒーは沖縄の3か所に移植されました。
四季の珈琲(57号)に筆者も「沖縄コーヒー現地調査」というタイトルで寄稿しました。
内容は明治期のコーヒーの木(子孫も含む)探しでコーヒー農家仲間たちと沖縄県内の古木調査をおこないました。結果、南は南城市〜北は国頭村で古木コーヒーを確認できました。
そこで、今の沖縄産コーヒー、昔の古木コーヒーの品種をDNA分析で調べました。
大学の先生方ご協力のもと国産コーヒーの歴史解明に向け現在も調査・分析中でありますが、まずはDNAってなに?何がわかるの?「DNA講演会」を行いました。
DNA講演会
沖縄有用植物研究会の勉強会で「DNA講演」を沖縄市農民研修センターで開催しました。
東北大学発ベンチャー企業「GENODAS」様および大阪公立大学、岡山大学の先生方にお越し頂きDNA入門、DNAの農業利用、沖縄産コーヒーのDNA分析などお話頂きました。
また台湾のコーヒー農園を視察され帰国直後の元琉球大学の先生に台湾と沖縄の栽培環境の違い、阿里山コーヒーのお話やコーヒー試飲会もおこないました。
DNAは4つ塩基(A・C・G・T)の並びの違いが生き物の違いであり、例えば僅かな違いで人間は見た目(身長、目や髪の色など)が変わってくる。
人間のDNA情報量は30億で日本人と韓国人の違いは約 0.005% 。農産物ではお米の品種違いは 0.00009% だけである。
昔は人間の全遺伝子を調べるのに13年と数兆円のコストがかかったが、技術の進歩で今では2日で20~30万である。ただし農産物に関してはDNA情報量が多いため「例:ニラ 320億」を調べようとすると数百万のコストがかかる。
塩基が4つ以外のものはありますか?
回答:ないです。ただ地球外生命体はわからない
トマトの品種開発の効率化、イチゴは病気の早期発見のお話が聞けました。
他に地元の植物で壁面緑化、しいたけ・みかんの品種識別などDNAの活用事例のお話もありました。
沖縄県内および県外で栽培されているコーヒー品種をDNA分析で調べて頂きました。
その中で沖縄県内に残存する古木については複数の品種確認ができました。
一部、コーヒーの木の見た目とDNA分析結果で違いがあったことは面白いなと思いました。
講演を終えて農産物のDNA利用は今後増えていくと思いました。活用できる分野も広く産地偽装品をDNAキット(PCR検査)で短時間で判別できる日も近いかもしれません。
また、スマート育種、適地適作、国産ブランド構築など農業でも期待したいゲノム技術でした。