当ブログでは日本で最初にコーヒーを飲んだ人は 吉雄耕牛(よしお こうぎゅう)という見解ですが、その吉雄耕牛が飲んだコーヒーについて推測してみました。
結論は「1750年前後のジャワ島産アラビカ種」オランダ東インド会社(VOC)からのものです。
VOCとコーヒー栽培
VOC(Vereenigde Oostindische Compagnie)は1700年前後にジャワ島でコーヒー栽培を着手。1712年からコーヒー豆をヨーロッパに市場投入していますが最初は僅かな量です(日本とVOCの関係は1609年から管理交易をおこなっています)
かつてジャワ島(現インドネシア)はオランダ領東インドと言われオランダの統治下にありました。
VOCによるジャワ島のコーヒー生産量は年々増加していきヨーロッパのコーヒー需要は次第にモカコーヒーからジャワコーヒーに変わります。
1730年頃からイギリスは紅茶が時流に乗る影響もありコーヒー価格は低下していきます。
出島オランダ商館(VOC日本支店)
出島の使用料を払い長崎に滞在するVOCの目的はアジア交易で利益をあげることです。
おそらく1740年以降、ジャワのコーヒー生産技術も確立し生産量も増加したことから対日交易でコーヒーを勧めてきたと思われます。
出島内には商館員(VOC社員)が常駐していたので、出島で働く日本人はVOCコーヒーを日常的に見たり味見していたと思います。
この頃、出島で商館員たちの通訳をしていたオーソリティが吉雄耕牛です。
1776年に出島オランダ商館医ツンベルクは言いました。
日本人とコーヒーについて「二、三人の通訳がコーヒーの味を知る程度」(日本紀行)と述べているように、コーヒーは飲まれていますが日本人の口に合わず普及していないことがわかります。
国産コーヒーの歴史後に長崎はコーヒー伝来地となり海軍学校もできるようになります。この学校に上記映像の人物(榎本武揚)が入学します。榎本は幕末の1856年から2年間この地で過ごしたことからコーヒーに興味をもち国産コーヒー栽培につながったのかも知れません。
榎本武揚も吉雄耕牛と同じVOCコーヒー(バタヴィア産)を飲んだものと思われます。
※現在、小中学校の社会科教科書では「鎖国」という表記がなくなり「幕府の対外政策」に変わっております。