Tag Archives: 榎本武揚

国産コーヒーの父

国産コーヒーの父 榎本武揚

28 8月 17
Okinawa Coffee Blog
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榎本武揚(1836~1908年  天保7年~明治41年)えのもと たけあき

映像:東京農業大学(世田谷キャンパス)

★榎本武揚とコーヒープロジェクト

榎本武揚というと郵便マーク()を決定したり北海道開拓(クラーク博士とも接点有)等、近代日本を築いた人で知られますが、明治政府で文部大臣時代に農学校創設(現東京農業大学)そして外務大臣、農商務大臣時代にはメキシコでのコーヒープロジェクトを計画、また小笠原で国内初のコーヒー栽培の実施等コーヒーに夢を追った政治家でありました。

コーヒーの木

コーヒーの木(農大)

★榎本武揚はコーヒー栽培を何故やりたかったのか?

コーヒーが好きだったかもしれませんが、日本人で数少ない海外のコーヒー事情を目の当たりにしている経験から最初は日本(小笠原)でコーヒー栽培を試み、後にメキシコの外資導入政策で広大な土地の権利を日本に勧めてきたのを機に、榎本は今でいうTPP推進者で開拓思想と日本の物産開発の必要性からメキシココーヒープロジェクトを実行したものと思われます。

榎本武揚の机

榎本武揚の机(農大)


★榎本武揚のコーヒーに関するインプット・アウトプット

【インプット】

①コーヒーとの出会い 1856年~  

20歳の時、コーヒー伝来地の長崎で2年間過ごす(長崎海軍伝習所入学

長崎は出島がありオランダ交易の場所であったため、古くからこの地はコーヒーを嗜む人たちがおり流通もしていたと思われます。
榎本は長崎でコーヒーの味を知り興味をもったと思います。

幕末コーヒー

当時の文献を参考に再現

②オランダ留学(4年間)1863年~

江戸幕府初の海外留学生としてオランダで過ごす。

オランダの町は、多くのカフェがあり日常的にコーヒーを飲む外国人の姿に驚いたと思います。
また、オランダには恩師がいました。オランダ海軍大臣のカッテンディーケ(元長崎海軍伝習所教官)や医師ポンペ(元長崎医学伝習所教官)異国の地で多くの人脈を築いたと思われます。

留学で多くの知見を得ましたが、特に海外の富国強兵、植民地政策および殖産ビジネスを肌で感じ、後の開拓につながったのかもしれません。

③世界的なコーヒー生産地ジャワ(バタヴィア)でコーヒーの木を見る

オランダ渡航中、ボゴール植物園(オランダの農業研究およびプロモーションセンター)訪問

ボゴール植物園

現在のボゴール植物園

ボゴール植物園とは?

1817年開園された東洋最大規模、最大栽植種を誇る植物園
インドネシア・ジャワ島中西部のボゴール市にあり育種研究の歴史的遺産でコーヒー等の普及はこの植物園なくしては語れないです(入園料約200円(2017年8月現在

一時期、ジャワは日本管理下にあり現地の植物管理に黒田三郎(詩人)の姿も
1942年~日本軍がジャワ占領
1943年~1945年 中井猛之進がボゴール植物園長就任(中井はその後1949年に日本の国立科学博物館長就任)

【アウトプット】

①熱帯植物栽培の建議書を提出

日本でもコーヒーやキナを栽培して物産開発しようと建議した。
明治政府は建議に応じて、1875年(明治8年)オランダにコーヒーの苗木500本を発注しました。

翌年4月にジャワから苗木が横浜港に届く(日本国内に初めてコーヒーの木が持ち込まれる

②東京都小笠原(父島)でコーヒー栽培

小笠原に移民を送り熱帯植物栽培しようと建議した。
小笠原は1876年(明治9年)日本領土と国際的に認められ小笠原でのコーヒー栽培が始まる。

※このとき沖縄にもコーヒーの苗木が送られた可能性有
※補足 田代安定日本の熱帯植物栽培のパイオニア)の足跡

1882年(明治15年)~沖縄(名護・大宜味・国頭)で熱帯植物の試験栽培
1889年(明治22年)~南洋植物調査(日本初の熱帯植物調査)
1894年(明治27年)~台湾調査
1901年(明治34年)~台湾恒春熱帯植物殖育場設立後に主たる日本のコーヒー研究農場
1915年(大正04年)~大正天皇にコーヒー献上

1928年(昭和03年)~昭和天皇にコーヒー献上

国産コーヒー

史料:小笠原コーヒー

③榎本武揚メキシコ殖民団(メキシココーヒープロジェクト)

1897年(明治30年)メキシコ(チアパス州)に向け36名の殖民団が横浜を出港、現地でコーヒー栽培に着手。

メキシコではすでにドイツ人移住者によってコーヒー栽培が始められていました。
日本は欧米と違いコーヒーの国内需要は見込めないとコーヒー栽培に対する反対意見もありましたが、それでもメキシコの土を日本に送り土壌分析したりコーヒー専門家を雇い入れしたと言われます。

しかし、現地でコーヒー種子の調達がうまくいかず、作物栽培に適した場所の選定に困難を極めさらに離脱者が出ました。
また、榎本自身も足尾鉱毒事件で農商務大臣を引責辞任といったことが道半ばにしてこのプロジェクトが終わったと言われています。

榎本武揚メキシコ殖民団

チアパス港に上陸する榎本殖民団

★多くの移民者が何故早期離脱したのか?

このコーヒープロジェクトが終わった大きな原因は低予算(支援が薄い)にあったと思います。
資金不足で移民者は思うように農業ができず夢を失い離脱者が出たと考えられますが、支援が薄い背景には政府の政策(南進論)や藩閥等、時代背景が悪かったのかもしれません。

★低予算でおこなうと危険なコーヒー栽培

コーヒーに限らず果樹栽培の難しいところは、例えばコーヒーは種から育てまとまった量の収穫まで5年かかります。
最初の5年間はコーヒー以外の作物を作り生活できなければいけませんが移民者たちはそれができなかったと思います。

理由として

①安定した水の確保
②いたずら・盗難・風土病対策
③種子・苗木の現地調達

★ドイツと日本の違いは?

ほぼ同時期にドイツ人がコーヒー栽培をして大成功していますが

理由として

①コーヒー栽培に熟知した生産者
②苗木入手が容易
③潤沢な資金

いわゆる ヒト・モノ・カネ 三拍子が揃っていたからだと思います。

こちらも参考に 国産コーヒーの歴史

日本で初めてコーヒーを飲んだ人

日本で初めてコーヒーを飲んだ人

28 10月 16
Okinawa Coffee Blog
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最初に珈琲を飲んだ日本人は誰か?(コーヒー解体新書)

日本で初めてコーヒーを飲んだ人とは・・・その人物に迫りました。

現在、通説的人物も存在しないため、江戸時代中期のコーヒーキーパーソン 吉雄耕牛(よしお こうぎゅう)を提唱したいと思います。

職業は出島の蘭通詞(オランダ語の通訳)ですが、医師であり蘭学者でもあります。

吉雄耕牛は18世紀中期に日本で初めて珈琲を飲んだ人物であることが極めて高く、またコーヒーを広めようとした第一人者であります。

※ 吉雄耕牛の画像(長崎歴史文化博物館蔵)は上記動画にてご覧いただけます。
※ 出島とは1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島で1641~1859年まで対オランダ貿易が行われました。

吉雄耕牛を日本で初めて珈琲を飲んだ人物とした理由を下記で説明したいと思います。

はじめに

☆ 歴史好きが書いたものです。内容については正確性に欠ける部分があります。
☆ 新たな史料が出てきて「吉雄耕牛」でない可能性もあることをご了承ください。
☆ 諸々の説があり通詞以外で「平戸説・丸山遊女・出島商人」が考えられますが、関連付けできる史料が発見できず除外しております。

コーヒーに関する文献(史料)要約しています

1706年「オランダ商館長日記」 日本にコーヒー豆を持ち込む

1724年「和蘭問答」 洋書の翻訳でコーヒーを「唐茶」と記している

1776年「日本紀行」 二、三人の通詞がコーヒーの味を知るのみである

1782年「万国管窺」 コッヒィは豆科の植物でなく木の実である 

1783年「紅毛本草」 古闘比以(コヲヒイ)の効能や飲用法を紹介した訳本

1794年「北槎聞略」 ロシアの食習慣でデザートとして「コーピ」

1795年「長崎聞見録」 かうひいの効能等紹介

1797年「長崎寄合町諸事書上控帳」 丸山遊女がオランダ人からもらった品物に「コヲヒ豆」

1797年「延寿王院鑑寮日記」 太宰府天満宮への献上品に「紅毛コヒイ」

1803年「蘭療方・蘭療薬解」 可喜(珈琲)の主効が書かれた蘭書の翻訳本

1804年「瓊浦又綴」 日本人初のコーヒー飲用体験記「カウヒイ焦げくさくて飲めん」by大田南畝

1816年「哥非乙説」 日本初のコーヒー論文 「珈琲」の漢字を作字した宇田川榕菴

上記史料の中で1776年の「日本紀行」がポイントになります。
出島には限られた職業人しか入ることができない中で最もオランダ人との接触機会がある職業は通詞です。
1776年に「二、三人の通詞だけが珈琲の味を知る」というのが当時の現状のようです。

通詞(つうじ)とは

通詞とは通訳者のことですが、仕事は通訳以外に翻訳・臨検・貿易事務等もして昼夜交代勤務でした。
通詞は世襲制でおおまかに大通詞、小通詞、稽古通詞の職位があります。

二、三人の通詞とは

二、三人の通詞とはおそらく名家と言われる「吉雄家 本木家 今村家」の中にいると考えられます。

吉雄家 大通詞の吉雄耕牛が本命

1776年の「日本紀行」を書いた人物はオランダ商館医のツンベルクです。
ツンベルクと相互教授関係にあったのが、吉雄耕牛で日本のコーヒー事情等は吉雄耕牛が話伝えたものと思われます。
また、吉雄耕牛は1739年から歴代オランダ商館医から直接医学を学んでいたので過去にさかのぼっても誰よりもコーヒーを口にできた人物と考えられます。

※ 史料からツンベルクは珈琲を嗜好品として携帯している
※ 1692年オランダ商館医ケンペル(出島三学者のひとり)の史料には珈琲記述なし

ツンベルクが一番信頼を寄せた日本人が吉雄耕牛

ツンベルクの日本滞在期間は1.5年です(1775年~出島12か月、江戸参府4か月
2人は長崎から長旅の出張 江戸参府でも苦楽を共にし信頼を築いてきました。
そんな彼らのエピソードとして闇取引をしています。

自腹で日本の古銭等(禁制品)と引き換えに梅毒の治療薬と治療法をツンベルクから教えてもらいました。
後に吉雄耕牛は梅毒治療で財を築きます

ツンベルク赴任後から動き出した日本のコーヒー事情

文献を見て頂くとわかりますが、1776年の「日本紀行」を境にコーヒーに関する史料が出てきます。
偶然かも知れませんが、私の推測は、ツンベルクは商館医として1775年に日本赴任しましたが、赴任前はアフリカやインドネシアで植物研究をしていた植物学者です。
コーヒーの植物学・精製・飲用法や効能等の知識を吉雄耕牛らに伝授したと考えられます。

コーヒーを知った吉雄耕牛 その後の行動とは?

吉雄耕牛は副業で医療活動をしており日本で初めてコーヒーを薬として処方しました。
また、自宅2階にサロン(オランダ座敷)を作り蘭学者達にコーヒーも振舞っていました。
そんな吉雄家に日本各地から蘭学・医学を学びに多くの人が集まりました(吉雄スクールの門弟は1000人を超えていたと言われています

その効果もあってか、出島周辺で徐々にコーヒー飲用が広がっていきました。

コーヒー党のシーボルトが赴任

1823年 シーボルトがオランダ商館医として出島に赴任しました(吉雄耕牛の息子がシーボルトの通訳をする
そのころには長崎でコーヒー党が増えていましたが、まだまだ日本人の口に合わず大きな広がりにはなっていません。

シーボルトが言いました!

「日本でコーヒーが普及しないのは実に驚くべきことだ」
「コーヒーを長寿に効くと宣伝すれば、もっと普及するであろう」

当時の珈琲は安いものでなく流通していないことも一因にありますが、シーボルト赴任後、徐々にコーヒーの認知が日本全国にされコーヒー飲用者が増えていくことになります。

話は飛びますが、その後…

1878年(明治11年) 日本で最初のコーヒー栽培が東京都小笠原村(父島)でおこなわれ国産コーヒーの生産に一定の成果を出す。

1897年(明治30年) 日本人によるメキシコでのコーヒー栽培着手(榎本武揚メキシコ殖民団

1899年(明治32年) 日本人化学者(カトウ・サトリ)がインスタントコーヒーを発明

1924年(大正13年) 沖縄にコーヒーの木が持ち込まれ試験栽培はじまる(沖縄産コーヒーが飲めるようになったのは1980年代です

国産コーヒーの歴史

以上、吉雄耕牛はコーヒーに関する深い知識や誰よりもコーヒーが入手でき飲める環境にあったこと、そして関連付けできる史料の存在が日本で初めてコーヒーを飲んだ人であるという見解になります。

最後に当時の蘭学者たちは異国の食文化や最新医学等を世に伝え日本を近代化への道に誘う存在であったと思います。その中でも吉雄耕牛の功績は大きく歴史に埋もれた偉人だと思いました。

参考文献
片桐一男:『江戸の蘭方医学事始 阿蘭陀通詞・吉雄幸左衛門耕牛』2000年 丸善ライブラリー

国産コーヒークイズ

国産珈琲 トリビア クイズ

19 7月 16
Okinawa Coffee Blog
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国産コーヒークイズ に答えて 先着 で沖縄産コーヒー苗木プレゼント!

問題

明治時代、国内で日本産コーヒー(純国産コーヒー)栽培を国策として推進した人は誰でしょうか?

ヒント】 

郵便記号「」を決定した方で東京農業大学の創設者

榎本武揚

この人は誰?

プレゼント応募条件】<応募受付終了しました> クイズの答え(1枚目のパネルに書いてあります)

・沖縄県在住で組合会員ではない方(会員の方は応募できません)

・苗木引渡日:7月22 or 24日 10:00~17:00 にお引取りできる方

・苗木の引渡場所:安座間珈琲店(定休日:土曜)

苗木の発送や取り置きはしません ので上記の引渡日時に来れない方は応募をご遠慮願います

安座間コーヒー

安座間珈琲店(北中城)

プレゼント応募方法

・クイズの答えを お問合せページ にあるメール欄に必要事項を入力し送信してください
(題名:コーヒークイズ メッセージ本文:クイズの答え

プレゼント品について

・苗木の品種は ティピカ種・ブルボン種・カツーラ種

・全てアラビカ種で樹高は約40~50cm 写真のコーヒーカップ鉢もプレゼント!

沖縄コーヒープレゼント

沖縄コーヒープレゼント品

※ 現在、コーヒー苗木の販売はしておりません