Tag Archives: 小笠原コーヒー

台灣咖啡的歷史

台湾コーヒーの歴史(台灣咖啡的歷史)

15 6月 18
Okinawa Coffee Blog
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 台湾珈琲の歴史 

はじめに

台湾にはもともとコーヒーの木は自生していないため外国から持ち込まれることになります。

台湾産コーヒーの誕生(最有力説

田代安定の報告書「熱帯植物殖育場報告」によると、1884年イギリス人がフィリピンのコーヒー苗木を台北に植えたのが最初と言われています。

オランダ統治時代(1624年-1662年)

オランダの統治時代に台湾でコーヒー栽培を試みた可能性はありますが、オランダは1700年前後にジャワ島をコーヒー生産地として栽培に初成功という歴史があります。よってこの時代に台湾コーヒーの誕生は史料も確認できないことから考えにくいです。

日本統治時代(1895年-1945年 明治28年-昭和20年)

1902年(明治35年)恒春に熱帯植物殖育場を創設してコーヒー等の試験栽培が始まる日本の小笠原コーヒーの種子も持ち込み栽培されるこれを機に台湾は東アジア最大のコーヒー生産地となりましたが戦争により衰退していく。

台湾における本格的なコーヒー生産の始まり

熱帯植物殖育場でコーヒー試験栽培に成功
 ↓
台湾人、日本人移民によるコーヒー栽培者が増える
 ↓
日本の民間企業による大規模栽培が始まる(住田物産、木村コーヒー等)

台湾コーヒー

百年珈琲

国田正二

国田正二

日本統治時代、国策でコーヒー栽培が始まり生産量は年々増えていきました。台湾で作られたコーヒーは日本で国産と言われていたようです。

東京勧業博覧会に出品される

1907年(明治40年)東京府主催で開催された勧業博覧会に出品される。

東京勧業博覧会

東京勧業博覧会

勧業博覧会 コーヒー

東京勧業博覧会 コーヒー店

天皇献上コーヒー

1915年(大正04年)大正天皇にコーヒーが献上される
1928年(昭和03年)昭和天皇にコーヒーが献上される

古坑珈琲

古坑コーヒー(台湾雲林県)

コーヒーさび病の発生

1933年(昭和8年)台湾で大規模なコーヒーさび病が発生しコーヒーの木は伐採される。

コーヒーさび病

コーヒーさび病

熱帯植物栽培のパイオニア 田代安定

沖縄と台湾において旧慣や植物調査を行なった元官僚で後に台湾総督府の技師となり熱帯植物殖育場を設立。植物学や民俗学の発展に貢献されました。

田代安定

田代安定 (1857-1928年)

田代安定の足跡

1882年(明治15年)~沖縄で熱帯植物の試験栽培
1889年(明治22年)~南洋植物調査(日本初の熱帯植物調査)
1894年(明治27年)~台湾調査
1902年(明治35年)~恒春熱帯植物殖育場設立(田代安定が建議)

台湾コーヒー農園視察とテロワール

国産コーヒーの父

国産コーヒーの父 榎本武揚

28 8月 17
Okinawa Coffee Blog
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榎本武揚(1836~1908年  天保7年~明治41年)えのもと たけあき

映像:東京農業大学(世田谷キャンパス)

★榎本武揚とコーヒープロジェクト

榎本武揚というと郵便マーク()を決定したり北海道開拓(クラーク博士とも接点有)等、近代日本を築いた人で知られますが、明治政府で文部大臣時代に農学校創設(現東京農業大学)そして外務大臣、農商務大臣時代にはメキシコでのコーヒープロジェクトを計画、また小笠原で国内初のコーヒー栽培の実施等コーヒーに夢を追った政治家でありました。

コーヒーの木

コーヒーの木(農大)

★榎本武揚はコーヒー栽培を何故やりたかったのか?

コーヒーが好きだったかもしれませんが、日本人で数少ない海外のコーヒー事情を目の当たりにしている経験から最初は日本(小笠原)でコーヒー栽培を試み、後にメキシコの外資導入政策で広大な土地の権利を日本に勧めてきたのを機に、榎本は今でいうTPP推進者で開拓思想と日本の物産開発の必要性からメキシココーヒープロジェクトを実行したものと思われます。

榎本武揚の机

榎本武揚の机(農大)


★榎本武揚のコーヒーに関するインプット・アウトプット

【インプット】

①コーヒーとの出会い 1856年~  

20歳の時、コーヒー伝来地の長崎で2年間過ごす(長崎海軍伝習所入学

長崎は出島がありオランダ交易の場所であったため、古くからこの地はコーヒーを嗜む人たちがおり流通もしていたと思われます。
榎本は長崎でコーヒーの味を知り興味をもったと思います。

幕末コーヒー

当時の文献を参考に再現

②オランダ留学(4年間)1863年~

江戸幕府初の海外留学生としてオランダで過ごす。

オランダの町は、多くのカフェがあり日常的にコーヒーを飲む外国人の姿に驚いたと思います。
また、オランダには恩師がいました。オランダ海軍大臣のカッテンディーケ(元長崎海軍伝習所教官)や医師ポンペ(元長崎医学伝習所教官)異国の地で多くの人脈を築いたと思われます。

留学で多くの知見を得ましたが、特に海外の富国強兵、植民地政策および殖産ビジネスを肌で感じ、後の開拓につながったのかもしれません。

③世界的なコーヒー生産地ジャワ(バタヴィア)でコーヒーの木を見る

オランダ渡航中、ボゴール植物園(オランダの農業研究およびプロモーションセンター)訪問

ボゴール植物園

現在のボゴール植物園

ボゴール植物園とは?

1817年開園された東洋最大規模、最大栽植種を誇る植物園
インドネシア・ジャワ島中西部のボゴール市にあり育種研究の歴史的遺産でコーヒー等の普及はこの植物園なくしては語れないです(入園料約200円(2017年8月現在

一時期、ジャワは日本管理下にあり現地の植物管理に黒田三郎(詩人)の姿も
1942年~日本軍がジャワ占領
1943年~1945年 中井猛之進がボゴール植物園長就任(中井はその後1949年に日本の国立科学博物館長就任)

【アウトプット】

①熱帯植物栽培の建議書を提出

日本でもコーヒーやキナを栽培して物産開発しようと建議した。
明治政府は建議に応じて、1875年(明治8年)オランダにコーヒーの苗木500本を発注しました。

翌年4月にジャワから苗木が横浜港に届く(日本国内に初めてコーヒーの木が持ち込まれる

②東京都小笠原(父島)でコーヒー栽培

小笠原に移民を送り熱帯植物栽培しようと建議した。
小笠原は1876年(明治9年)日本領土と国際的に認められ小笠原でのコーヒー栽培が始まる。

※このとき沖縄にもコーヒーの苗木が送られた可能性有
※補足 田代安定日本の熱帯植物栽培のパイオニア)の足跡

1882年(明治15年)~沖縄(名護・大宜味・国頭)で熱帯植物の試験栽培
1889年(明治22年)~南洋植物調査(日本初の熱帯植物調査)
1894年(明治27年)~台湾調査
1902年(明治35年)~台湾恒春熱帯植物殖育場設立後に主たる日本のコーヒー研究農場
1915年(大正04年)~大正天皇にコーヒー献上

1928年(昭和03年)~昭和天皇にコーヒー献上

国産コーヒー

史料:小笠原コーヒー

③榎本武揚メキシコ殖民団(メキシココーヒープロジェクト)

1897年(明治30年)メキシコ(チアパス州)に向け36名の殖民団が横浜を出港、現地でコーヒー栽培に着手。

メキシコではすでにドイツ人移住者によってコーヒー栽培が始められていました。
日本は欧米と違いコーヒーの国内需要は見込めないとコーヒー栽培に対する反対意見もありましたが、それでもメキシコの土を日本に送り土壌分析したりコーヒー専門家を雇い入れしたと言われます。

しかし、現地でコーヒー種子の調達がうまくいかず、作物栽培に適した場所の選定に困難を極めさらに離脱者が出ました。
また、榎本自身も足尾鉱毒事件で農商務大臣を引責辞任といったことが道半ばにしてこのプロジェクトが終わったと言われています。

榎本武揚メキシコ殖民団

チアパス港に上陸する榎本殖民団

★多くの移民者が何故早期離脱したのか?

このコーヒープロジェクトが終わった大きな原因は低予算(支援が薄い)にあったと思います。
資金不足で移民者は思うように農業ができず夢を失い離脱者が出たと考えられますが、支援が薄い背景には政府の政策(南進論)や藩閥等、時代背景が悪かったのかもしれません。

★低予算でおこなうと危険なコーヒー栽培

コーヒーに限らず果樹栽培の難しいところは、例えばコーヒーは種から育てまとまった量の収穫まで5年かかります。
最初の5年間はコーヒー以外の作物を作り生活できなければいけませんが移民者たちはそれができなかったと思います。

理由として

①安定した水の確保
②いたずら・盗難・風土病対策
③種子・苗木の現地調達

★ドイツと日本の違いは?

ほぼ同時期にドイツ人がコーヒー栽培をして大成功していますが

理由として

①コーヒー栽培に熟知した生産者
②苗木入手が容易
③潤沢な資金

いわゆる ヒト・モノ・カネ 三拍子が揃っていたからだと思います。

こちらも参考に 国産コーヒーの歴史

東京産コーヒー

東京産コーヒーが飲めるカフェ

23 7月 17
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東京で東京産コーヒーが飲めるカフェ

店名「カフェアパショナート」
このカフェでは東京産(小笠原)コーヒーを挽き立てハンドドリップで入れてもらえます。


東京の高層ビル群の中で育つコーヒーの木

高層ビル群がシェードして11時以降は日陰になる環境です(とても元気です)

東京コーヒー栽培

国産コーヒーチェリー

このように都心でも国内産コーヒー栽培する人が増えてきておりますが先日、味の素が徳之島で国産コーヒー栽培で生産規模10トン(日本最大規模)を目指し商品化すると発表がありました。日本産コーヒーが盛り上がっていくと良いですね。